目次
・ ジベリッシュ瞑想とは?
ジベリッシュというのは、gibberishという英語の単語です。
辞書で調べると、意味は、わけのわからない(早口の)おしゃべり[文章]; ちんぷんかんぷん.とあります。
赤ちゃんが、自分勝手に作った言葉でしゃべるように、gibberish’とは、自分が理解できない言葉を表す単語で、つまり意味のない言葉という意味です。
このジベリッシュを、近代では、OSHOが様々な瞑想に使いましたが、OSHOによるともともとイスラム神秘主義のスーフィー教徒が使用していたとのことです。
‘Geber’という名前に翻訳されている、8世紀イスラム世界の錬金術師の‘Jabir’が、gibberishの語源のひとつだという説があります。
‘gibberish’という単語は、当時、‘Jabir’や、ほかの錬金術師が使っていた、理解不能で意味不明に聞こえる言葉について言及したものだという説です。
OSHOは、「ジベリッシュ という言葉は、スーフィーの神秘家、ジャバールからきている。ジャ バールはどんな言葉も話さなかった。彼はただナンセンスを言っていただけだ。
それでも彼には何千という弟子がいた。なぜなら、彼の言っていることは、『あなたのマインドはジベリッシュ以外の何物でもない。それを脇に置くことだ、そうすればあな たは自身の存在を味わうだろう』ということだからだ。」
と語っています。
もうひとつ語源の説としては、jabber’という単語からきたというもので、これは、浮浪者や、ジプシーが話す言葉について説明するときに使われた単語です。
多くの人にとって、浮浪者やジプシーの言葉は理解できない言語だったことからきています。
gibberish が初めて英語として現れたのは17世紀初めだそうです。
ただし、この単語は、フォーマルな英語ではあまり使いません。
例えば授業中に先生に、「彼らがわけのわからないことをしゃべっています」などというときに使用するのは適切ではないそうです。
OSHOはこのフォーマルでない言葉のジベリッシュを使った瞑想を、人びとに勧めました。
ジベリッシュ瞑想は、一人でやってもいいし、グループでやってもいい瞑想です。
「ジベリッシュはあなたのマインドをきれいにするもっとも科学的な手段のひとつだ」
とOSHOは言っています。
ノーマインド瞑想
またOSHOは、1988年5月26日、インドのプネーにおいて、Oshoはブッダホール(瞑想ホール)に集まった数千人の弟子たちに、「ノーマインド」という新しい瞑想法を紹介しました。
それは数分間の「ジベリッシュ」で始まり、そのあとに数分間、静かに坐り、ただ見守り
ます。
最終段階は「レット・ゴー」で、体を完全にくつろがせ、何の作為もなく、ただ後ろに倒れるにまかせます。
この瞑想は、参加者がマインドのなかの騒々しいがらくたをすべて放り出すように作られています。
そうしてはじめて静かなる観照、すなわち瞑想が可能となります。
Oshoは、このとき何か月にもわたって毎夜の講話の最後に、そのしめくくりとしてこの瞑想を用いました。
また一方で、毎日一時間のジベリッシュと一時間の観照、そしてレット・ゴーと続く七日間のグループ・セラピーとしてこれを行なうようにとの指示も与えています。
それはノー・マインド瞑想と呼ばれて、世界中で行われています。
ミスティック・ローズ瞑想
また、子供のためのミスティック・ローズ瞑想として、OSHOが発案した4つのプロセスは、十分間のジベリッシュと十分間の笑い、十分間の涙と十分間の沈黙を組み合わせたもので、OSHOは学校での1日が始まる前に、子供と先生が一緒にするように提案して います。
これは、大人も自分の中の「内なる子供」につながる瞑想として行うことができる愉快な瞑想です。
チャクラジベリッシュ瞑想
長くOSHOの下で瞑想を体験してきたユニティ・インスティテュートのプラサード・リーラ・アルビナの三人は、チャクラのエネルギーを感じて、それをジベリッシュするチャクラジベリッシュ瞑想を生み出しました。
この瞑想では、ジベリッシュとチャクラというユニークで強力な組み合わせを使って、これまで長い習慣となっている狭い考え方や、否定的感情、ストレスからの解放を促します。
その後の沈黙では、止むことない思考の流れを中断し、広い、生命に満ちた、今この瞬間に開いていきます。
ラフター・ヨガ (笑いヨガ)
また、現在、100カ国以上で流行中のラフター・ヨガ(笑いヨガ)でも、ジブリッシュ瞑想と訳されて、でたらめ言葉を使っての感情の解放エクササイズがあります。
ただしこちらのジべリッシュの場合は、お互いにジブリッシュをしながらのコミュニケーションの遊びとして使用されています。
たしかにジベリッシュ(ジブリッシュ)は、それをすること自体で、意味や文脈、文法や論理と関係なく、自由に道理も筋道もなく喋る自由さがあります。
異言
また、初めに言葉ありきと言ったキリスト教の旧約聖書のなかにも、でたらめな言葉を喋ってのお祈りの場面があり、伝統的に、それは異言と呼ばれています。
ある異言を研究している牧師で、精霊によって喋らされる異言と、個人の無意識が語る個人異言とを分けて研究している人もいて、個人異言を語る祈りの方法は、ジベリッシュ瞑想と違いはありません。
デヴァヴァニ瞑想(舌によるラティハン)
しかし、はっきりとOSHOが異言を語りなさいと指導している瞑想は、デヴァヴァニ瞑想と呼ばれています。
意味のない音声を語ることを取り入れた瞑想ですが、ジベリッシュのように泣いたり、叫んだりはしないようにと注意されています。
熱狂的に、浄化発散的に行うのでなく、耳慣れない言葉めいた音声を穏やかに語ります。
デヴァヴァニとは、瞑想者を通して語られる「神の声」という意味です。
瞑想者は空っぽの器、ひとつの通路になります。この瞑想は「舌によるラティハン」であるとOSHOは語っています。
このデヴァウァ二(舌によるラティハン)は、心の意識的な部分をとても深くくつろがせるため、OSHOは「深い爽快さをもたらす眠りのための瞑想」という名前で、15分間これを行い、そのまま眠りに落ちるようにと紹介しています。そうすれば、非常に深い眠りが得られます。
デヴァヴァニ瞑想は、意識的な心をくつろがせ、頭脳の幼児言葉を覚える以前に使われていた、今では馴染みの薄い部分から出てくる意味不明な言葉を発しますが、ニューエイジの一部のひとたちに流行しているライトランゲージや宇宙語というものと、違いははっきりはしていません。
・ジベリッシュ瞑想、ノーマインド瞑想、デヴァヴァニ瞑想などのやり方
ジベリッシュ瞑想のやり方
目を閉じ、意味のない音声 “ジベリッシュ” を話し始め、15分~30分ジベリッシュのなかに全面的にはいり込みます。
内側の表出されなくてはならないものをすべて表出することを、自分自身に許して、何もかも投げ出します。
そうしたら、同じく15分~30分うつぶせになって横たわり、母なる大地と溶け合っているかのように感じます。息を吐き出すごとに、自分がからだの下の大地のなかに溶け込んでゆくのを感じるようにします。
「ジベリッシュはあなたのマインドをきれいにするもっとも科学的な手段のひとつだ」 とOSHOは語ります。
ノーマインド瞑想のやり方
ノーマインド瞑想は、一日二時間、一週間のプロセスで、最初の一時間はジベリッシュをして、その後に静かに座る瞑想を続けます。
最初のステージでは、立つか座り、目を閉じて、ジベリッシュをします。
どんな音声でもかまいませんが、自分の知っている言語を話したり、言葉を使ったりしてはいけません。
自分の中で表現される必要のあるものは何もかも表現させていきます。
あらゆるものを投げ出して徹底的に、そして意識的に狂います。歌う、泣く、叫ぶ、悲鳴を上げる、口の中でモゴモゴと言う、しゃべりまくるなどあらゆることが許されます。
また身体はジャンプしたり、横たわったり、ゆっくり歩いたり、座ったり、ける、など体が望むがままにさせます。黙っていると、他の人のマインドのゴミを受け取ることになるので、黙っていないように注意します。
次のステージは観照です。
完全に静止し、沈黙し、くつろいで座ります。エネルギーを内側に集めて、思考をどんどん遠のかせ、自分の中心にある「深い沈黙と平安」の中に自分自身を沈みこませます。
あらゆる思考や、感情、肉体の感覚、判断となど何かやってこようとそれを自分だとは思わず、巻き込まれないように見守ります。
最後のステージはレットゴーです。
観照の後には、何もコントロールしないで、身体がそのまま後ろに倒れるままにします。
まるで死体のように横たわりながらも、見守ることを続け、自分が身体でもマインドでもないこと、自分はその両者と別の存在であることに気づくようにします。
デヴァヴァニ瞑想のやり方
ジベリッシュやノーマインド瞑想は、でたらめ言葉を能動的に表現します。
それに対して、デヴァヴァニ瞑想は、起こるがままにまかせる受動的な瞑想です。
ジベリッシュやノーマインド瞑想は能動的な瞑想だとしたら、デヴァヴァニ瞑想は受動的な瞑想だといえます。
それは、4つのステージからなり、各15分間です。目はずっと閉じたままでいます。
最初のステージは15分間、静かな流れるような音楽を聞きます。
次のステージで意味のない音声を出しますが、ジベリッシュのように激しく叫んだりはせず、赤ちゃんの言葉のようにやさしく、穏やかな調子を保ちます。
無意識の深い層から、自然に知らない言葉が起こってくるかのように舌を動かします。舌がラティハン(自動誘導運動)をしているかのように話し続けます。
次のステージでは、話し続けながら、立ち上がります。
身体がその音声と調和しながら、柔らかく動くにまかせます。
身体がゆったりとくつろいでいれば、自分の制御を超えたところで、微妙なエネルギーがラティハンを引き起します。
最後のステージは、15分間、横たわってじっとしています。
チャクラジベリッシュ瞑想のやり方
チャクラジベリッシュ瞑想は、各チャクラのエネルギーを感じて、二分半ずつ、それを意味のない音声で表現します。
専用の音楽があり、下から上までのチャクラを一巡したら、横になるか座るかして、沈默の中にくつろぐ時間をとります。
あるいはチャクラのジベリッシュは一巡だけでなく、もう一度することもできます。
ジベリッシュ (ノーマインド瞑想) の効果
「ペンシルベニア大学放射線科のニューバーグ博士は、異言(ジベリッシュ)を語る人の脳のスキャン画像を調べました。
その結果、ジベリッシュ(異言)を語ることは、前頭葉を活性化しない、すなわち前頭葉を刺激しないことを報告しています。
むしろ前頭葉を鎮静化することを認めてます。
前頭葉は感情や思考や理性や人格をつかさどっています。
だからジベリッシュ(異言)を語ることで、前頭葉が鎮静化することによって、感情をコントロールでき、ノイローゼや躁うつ病をコントロールでき、薬物依存症やギャンブル依存症からの離脱に大きな助けになるという報告があります。
実際、1960年代に、ニューヨークの下町の麻薬中毒の若者たちが、デイビッド・ウイルカーソン牧師によって救出されたとき、彼らはジベリッシュ(異言)を語ることによって、いともたやすく麻薬中毒から離脱することができたという症例があります。
また麻薬がほしくなったとき、教会に飛び込んでジベリッシュ(異言)で祈れば、麻薬の禁断症状を克服できたと語っています。
今日も、異言を語る人には精神病者がいないとアメリカのある教団が報告しています。精神病にならないのか、なっても治ってしまうのか、それは分かっていいませんが、その両方が考えられます。
前頭葉の沈静化というのは、異言というジベリッシュのお祈りだけでなく、ラフターヨガ (笑いヨガ) のティーチャーによるジブリッシュと呼ばれるでたらめ言葉の脳波実験でも、同じ結果が出ています。
OSHOは、
「何時間もマインドが静まっていれば、それは新鮮で、若く、より創造的で、感受性豊かになる。それは、休息を通じ若返る。
普通、人のマインドは三、四歳のころから働きだし、70年、80年と休暇も取らずに働き続ける。
おのずと、それは「極めて創造的」というわけにはいかない。とても疲れている。
くだらないことで疲れ切っている。世界中で何百万という人々が、創造性を発揮することもなく生きている。創造性とは、もっと至福に満ちた体験のひとつだ。だが、彼らの心は疲れ切っている。溢れんばかりのエネルギーに満ち溢れた状態ではない。
無心の人は、心を休ませて、エネルギーを充足させる。
計り知れないほど感受性豊かで、指令ををけたときにはすぐさま心を行為に移す用意ができている。」 OSHO
と語っています。
無心 (ノーマインド) が主人となり、心 (マインド) を使えるようになります。そのために異言、ジベリッシュは役に立ちます。
またOSHOは、
「マインドはいつでも言葉で思考する。ジベリッシュは、この絶えざる言語化のパターンを粉砕するのに役立つ。あなたは思考を抑圧せずに、ジベリッシュによって投げ出せる。あなたのからだにも同じく豊に表現させなさい」
と語っていますが、
ジベリッシュと沈默を一週間続ける瞑想を「ノーマインド瞑想」と名付けてるように、無心の境地につながる瞑想です。
意識の表層に存在している思考や感情の乱れが沈静化して、ふだんは不用意に活発になっているそれらの層に対する気づきが、より拡大して、思考や感情より深くにある沈黙とスペースに気づくことが簡単になります。
インドのプネー市にある「OSHO国際瞑想リゾート」や世界中の「OSHO瞑想センター」で、この「ノーマインド瞑想」グループに参加した人々は、グループ終了後、自分自身がより開かれ、感じやすく、しかも自己の中心に定まっていることを体験したと報告しています。
そして、瞑想の間、自分がより深くくつろぎ沈黙していることを発見しました。
チャクラの観点から見ると、ジベリッシュを使う瞑想はどれも、第五チャクラにある思考や信念の固まりを、掃除する働きがあります。
それは、メンタルなプログラムを浄化するのに役立ちます。
喉にあるブロックを壊し、第五チャクラを開きます。
また夜眠る前にジベリッシュを数分間すると、意識的なマインドがくつろぎ、深い眠りに入っていくことができます。
OSHOは、
「あなたの唇が最初の活動を始めた。口のエリアの周辺にすべての活動の始まりがある。
あなたは息を吸い、あなたは泣き叫び、あなたは母親の乳首を探し求めはじめた。そしてあなたの口はつねに狂気じみた活動のなかにある。」
と言っています。
ジベリッシュをして、口の緊張と活動を発散すると、静かになることができます。
瞑想中に口を閉じて、上顎に舌を当てると、思考が活動している時は舌が微妙に動いていることがわかります。
ジベリッシュをする時に、舌も自由に動かすことで、静かに口を閉じることが簡単にできるようになります。
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