仏教の瞑想

仏教の瞑想

● 仏教の瞑想の歴史

約2600年前に、ゴータマ・シッダルータ(釈迦牟尼)が悟って、教えを説いたことから始まった仏教は、歴史の中で移り変わっていき、原始仏教(根本仏教)から部派仏教(アビダルマ)へ。初期大乗仏教(中観)、中期大乗仏教(如来蔵・唯識)、後期大乗仏教(密教)と姿を変え続けていきました。

釈迦がこの世を去ってから、約1700年後の13世紀には、イスラム教徒の侵攻により、インドでは仏教はほぼ廃れてしまいましたが、紀元前3世紀頃にスリランカに伝来した原始仏教は、ミャンマーやタイに伝播していき、東南アジアに現在も広まっています。

日本には、中国から大乗仏教の流れが伝わり、主流となっていて、自ら救われることよりも、生きとし生けるものすべての人を救うことの大切さが教えられています。

上座部仏教

「テーラワーダ仏教圏」とも呼ばれる東南アジアでは、小乗仏教(上座部仏教)と呼ばれ、自らの解脱(げだつ)を重視し、そのために厳しい戒律や修行が残っていて、原始経典に基づいた瞑想も行われています。

アメリカでは仏教徒は300万人を超え、1970年代から15倍に伸びています。 仏教に大きな影響を受けた人は 約2500万人という調査があります。

特定の組織に属さずに、日常生活の中で仏教を勉強している人達を指して「ナイトスタンド・ブッディスト」と呼ぶこともあります。 その中心は、教団仏教・寺院仏教ではなく、供養を中心にした儀式仏教でもなく、目覚めのための仏教です。

アメリカには少なくとも1000以上の瞑想センターがあり、その一割以上が超宗派です。

仏教の瞑想の種類 仏教では、瞑想法を基本的に「止」と「観」に分けて考えます。 「止」は何らかの対象に一点集中し、心を静める瞑想法です。 「観」は何らかの対象を観察・分析し、理解し、(洞察し)智慧を得る瞑想法です。

どちらも概念やイメージをともなう場合もあれば、ともなわない場合もあります。 集中と洞察を合わせて、止観(サマタ・ヴィパッサナー)と呼んできました。

「止」で、マインドをひとつの対象にとどめ、そうすることでマインドは静まってきます。

「観」で、事実をありのままに観察するのです。

心を鎮め、物事をありのままに洞察するためには、パーリー語で「サティ」と呼ばれる 「気づき」が必要です。 「サティ」は、「サラティ」(思い出す)と動詞の名詞形です。 漢訳の経典では、「念」と訳され、それが英語では今流行の「マインドフルネス」と訳されています。

「念」と言う漢字の形は、「今」と「心」に分解されます。 「今」何が起こっているのかを知る「心」と言う意味になって、マインドフルネスとは自分自身の「今」現在に注意深くあることと考えられています。

仏教とは本来修行して悟りを得ることを目的とした宗教だったのです その本来の教えに忠実に修行をしようというのが上座部仏教で、一般的には小乗仏教と呼ばれ、主にタイやミャンマーなどの東南アジアで信仰されています。ヴィスパッサナー瞑想は、上座仏教での瞑想です。

大乗仏教

それに対して、修行者が仏教の精神を広く説くことにより、人々が修行せずとも仏教を信仰することは可能だと説くのが、大乗仏教です。

大乗の乗は、乗るという意味です。 小乗仏教に対して、乗り物が大きく、どんな人でも信仰があれば、救われるというところ からきています。

自分より先に衆生(しゅじょう・命あるものすべて)を救済することを優先し、自分が救 われるかどうかは、仏に任せるという考え方です。

しかし大乗仏教の世界でもさまざまな瞑想はあります。 観察の対象は、古くは、四念処と言われ、身体の動き(身)、苦楽の感受(受)、心に生 じる働き(心)、誰もがもつ心の働き(五蓋や五蘊)に分類されていましたが、大乗の時代になって、仏の姿を思い浮かべて、それを観察の対象とする瞑想が生まれました

仏像が作られるようになったのも同時期なので、仏像を眺めるという瞑想も生まれ、そこ から仏の名前を繰り返し唱える方式や、短いフレーズを唱えたりする瞑想も生まれました。

また気の流れを観察する瞑想が中国では生まれました。 日本には、6世紀の半ばに仏教が伝えられて、奈良仏教や密教や禅宗などでもさまざまな工夫がなされています。

●仏教瞑想のやり方

「止」の瞑想

「止」の瞑想で、日常的な心の動きを鎮めるために、一番簡単な方法は、入る息、出る息に心を結びつけることです。

入息出息の観察を続けると、心は他のものにさまよったり、他のことを考えますが、それに気づいたら呼吸の観察に戻ります。

呼吸をするたびに数を数える数息法といった瞑想は、この「止」の瞑想です。 呼吸でなくても、あらゆるものを対象に行うことができます。

「観」の瞑想

「観」の瞑想は、仏教では六根と呼ばれる視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、思惟などを、現在進行形で、気づいていきます。

観察を続けると、それらは、次から次へと変化していく無常なものであることがわかってきます。 また観察対象と観察している主体(気づき)が別のものであることもわかってきます。こういった智慧や洞察を得ていくのが「観」の瞑想です。

●仏教瞑想の効果

「止」の瞑想によって、気づきに光が灯り、集中力が増します。

マインドがさまようことなく、雑念があっても一点に集中することができるようになります。 脳も体も休ませることができます。

また呼吸も整い、くつろぎという本質につながることで、ストレスやイライラが緩和されます。

「観」の瞑想によっては、人間の心の多層的な構造に、さまざまな智慧と洞察を得ることができます。

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